若き日、私は何者でもありませんでした。当時、最も人気のあった脚本家の伴一彦さん、当時フジテレビ、北の国からなどのプロデューサーであった、現、共同テレビ会長の山田良明さんに引き上げられたのです。このお二人がいらっしゃらなければ、私はもしかしたら今も、何者でもないかもしれません。

 人は、才能があっても、陽のあたる事がなければいつしか埋もれてしまい、熱情があっても、自問自答のうち、やがては冷え切ってしまうものでしょう。それはエンターテイメントの世界にかかわらず、どの分野でも同じなのかもしれませんが。月日は流れ、私自身も、そのタイミングでの中で、今回、このアカデミーを総合監修する立場になりました。おそらく、これより前でも、後でも、引き受けてはいなかったかもしれません。

 このアカデミーの特徴を一言で説明させて貰うならば、回り道をさせない、英才教育という事に他ならない。そうして、今は何者でもない君達を、あの頃、同じように何者でもなかった私がそう導かれたように。運をあげよう。才能があるのならば。引き上げてあげよう。そこに熱情があるのならば。

 夢を持つ子供達、若い人達に、本来力なきものが触れるべきではない。日々にそれぞれの性格にあった基礎訓練を続けながら、一方で、現役にキャスティング力のあるテレビ、映画、舞台の人達を特別講師にも呼び、君たちを折に触れて見てもらおう。

そう、君達が何者かになりたいと望むならば。

ポーラスター東京アカデミー 総合監修

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野島伸司
SHINJI NOJIMA

中央大学法学部政治学科中退、後、渡米。ホームステイをしながらUCLAに通う。1987年10月、本格的に脚本を学ぶため当時第一線で活躍していた脚本家・伴一彦を師事し、『ハートカクテル・ドラマスペシャル』(日本テレビ系)などのプロットを手掛ける。1988年5月「時には母のない子のように」で第2回フジテレビヤングシナリオ大賞を授賞し、メジャーデビュー。「君が嘘をついた」(1988年フジテレビ)で連続テレビドラマの脚本家デビュー。ドラマは平均視聴率17.3%を記録し、業界で注目を集める。その後現在に至るまで第一線で活躍し数々のヒット作を世に送り続けている。

【主な作品】 101回目のプロポーズ(1991年、フジテレビ)/高校教師(1993年、TBS)/愛という名のもとに(1992年、フジテレビ)/ひとつ屋根の下(1993年、フジテレビ)/家なき子(1994年、日本テレビ)/人間・失格~たとえばぼくが死んだら(1994年、TBS)/未成年(1995年、TBS)/ひとつ屋根の下2(1997年、フジテレビ)/聖者の行進(1998年、TBS)/世紀末の詩(1998年、日本テレビ)/リップスティック(1999年、フジテレビ)/美しい人(1999年、TBS)/ストロベリー・オンザ・ショートケーキ(2001年、TBS)/ゴールデンボウル(2002年、日本テレビ)/プライド(2004年、フジテレビ)/薔薇のない花屋(2008年、フジテレビ)/ラブシャッフル(2009年、TBS)/GOLD(2010年、フジテレビ)/理想の息子(2012年、日本テレビ)/49(2013年、日本テレビ/プラトニック(2014年、NHK BSプレミアム/明日、ママがいない(2014年、日本テレビ)/お兄ちゃん、ガチャ(2015年、日本テレビ)/アルジャーノンに花束を(2015年、TBS)等多数

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